top of page
検索

ヤマノネ、ありがとう

  • 3月25日
  • 読了時間: 2分

 引っ越しは、なんだか人生の最後を物語ってるように感じた。いつまでも続くと思ってた生活、環境に一度終止符をうつ。


 引越しの前日、なんだかもう二度とこの家のお風呂にはいることないのだなと思うと、とっても狭かったユニットバスのお風呂がいとおしくなる。そして、ベットに入り、天窓から見える月の光や、朝日、雲の動きはもう二度と見えないのかもしれないと思うと急に寝ることも起きることもちょっぴりさみしくなった。とはいえ、引っ越し翌日は魚教室があったので、段ボールに囲まれながらやれることはやっておこうと、出汁を引いた。もうあと何分かで引っ越しするというのに部屋中に鰹の香りが広がった。最後に段ボールに詰め込まずのこったのは紛れもなくキッチン用品だった。

自分にとって食べることやつくることが最後の最後まで歓びであり譲れないものでもあるような気がした。


 この5年間は私にとって激動だった。「引っ越してきた時と今とでは別人になってるよ」とまで言われるほど。だからこそ、とても思い入れのある部屋で、不安でいっぱいなときも、忙しすぎるときも、うれしいことがあったときも、全部包み込んでくれる居場所だった。成長をずっと見守り支えてもらったような5年間。


 けして広くはないけれど、天井が高く天窓と屋根裏部屋がついていて、不思議な開放感があった。朝は鳥のさえずりが聞こえて、通りすがる人は必ず挨拶をしてくれるいい場所だった。


 ただただ感謝の気持ちでいっぱい。この部屋に出会えて、住めてよかった。


 
 
 

最新記事

すべて表示
よく晴れた春の日に

ある幼稚園の卒園式のケータリングをつくることになった。その幼稚園は高台にあって、いろんな木々や植物に囲まれていて、畑もあって、子どもたちが思う存分走り回っていた。  たまたま自分がいっていた幼稚園も毎日自然の中で思いっきり走り、思うままに遊びつくした記憶があり、その景色がとても懐かしかった。卒園式もまた園長先生が、詩をよんでくれたり、卒園の証として木の置き物を手づくりで一人ひとりにつくってくれたの

 
 
 
サクラヤマ、ありがとう

桜山での魚教室は昨日で最後。  1年間、お世話になった。毎回来てくれる人、遠くから通ってくれてる人、口コミやインスタを見てきてくれた人などすこしづつ来てくれる人が増えていった。 とはいえ、開催するか迷った時もあった。そんな中でも来てくれる人がいてくれたことで毎月続けてこれた。このお部屋を紹介してくれた美容師のJさんの協力も、96歳の元気な大家さんと出会えたことも私にとっては力強い後押しだった。 場

 
 
 
自分の庭を広くする

隠岐の島、海士町にて1ヶ月仕事をさせてもらってた時のこと。隠岐の島 海士町は本土から60km、フェリーで3時間程かかる島根県の離島。  そんな離島に集まってきている移住者たちの会話はとってもグローバルだった。    海士町に何年か住んでから東南アジアの離島へ移住した人が「海士町へ何度も行き来することで、その場所がどういう場所かわかってきて、住むうちに自分の馴染みの場所である庭になるように、海外も同

 
 
 

コメント


© MEGUMI OKAMURA

bottom of page